野坂昭如さんが亡くなった翌々日の2015年12月11日、当館の中島の話が地元紙に掲載されました。
野坂昭如氏の在りし日しのぶ 皆生温泉旅館の社長
直木賞作家、野坂昭如さんの死去が報じられた10日、交流があった皆生温泉の旅館、海潮園(鳥取県米子市皆生温泉3丁目)の中島太郎社長(52)は「自宅に遊びに行ったり、飲みに行ったりいろいろなエピソードがある」と在りし日をしのんだ。
野坂さんは、同旅館の先代社長で中島社長の父敏行さん(故人)と早稲田大の学友。
同旅館によく宿泊し、中島社長が部屋に遊びに行くと熱心に話をし、中学生ぐらいだった中島社長に原稿をファクスで送るよう依頼することもあったという。
現在、旅館の廊下には野坂さんが敏行さんに宛てた手紙の写しが飾られている。
中島社長が大学に進学した際、大学に提出する書類に身元引受人として野坂さんの名を記したこともあった。
思い出深いのは大学卒業前、世話になったお礼に敏行さんとともに野坂さんを訪ねた際、すし店で正午ごろから深夜0時ごろまで、上の句と下の句を互いに詠み合う余興を繰り広げたこと。
「12時間も店にいた揚げ句、誰も払うお金を持ち合わせなくて」と懐かしく振り返った。
型破りで、先見の明
(読売新聞掲載内容)